管理入院40日間(2003年5月後半の記録)
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2003/05/16 洗髪
優しい看護婦さんの時は、頼めばすぐに洗ってくれる。
でも昨日は運悪く、前回洗ったのはいつでしたか?とか確かめる人で、火曜日ですと答えたら、今日はスタッフも足りなくて忙しいので、中2日我慢して下さいとか言われちゃった。
1日おきに洗ってられるかよ?って感じ。
はあ〜シャワーも入れなくて、洗髪も3日に1回だと、気が狂いそうになる。
身体をふく蒸しタオルにアロマオイルも使っちゃいけないと言われちゃったし。
むくみが尋常じゃなく、下半身が痛くてしょうがない。
でも今朝担当の男性医師に言ったら、顔がむくんでないから、お腹が大きいせいで病的なものではないから大丈夫とか言われちゃった。
確かに顔はやつれているので、むくみが…とか言っても真剣に見てくれないのよね。
太ももとかお腹の下の方、本当に痛いのに〜(;>_<;)今日はやさしい看護婦さんで、腰を暖めるホットパックと、頭を冷やすアイスノン、咽の乾きを癒す氷など、言わなくても持って来てくれる。
たぶん洗髪も言わなくてもしてくれる。
よかった。
2003/05/17 やっと半量
今朝、むくみで身体中痛くて痛くて、お腹も大きくなり過ぎてこれ以上引っ張られたらもう我慢出来ないし、夜も横になっているだけで苦しくて眠れないし、寝返りも打てないし、辛くて辛くて、もう早く生まれてくれないと耐えられない、と散々泣き言こぼして、ウテメリンを半量にしてもらいました。
でも、週末の人手のない時に、わざわざお産が来るようなことをするのが、好ましくないのはわかりますよね?とか言われちゃって……。
わかります、わかりますけど、でも本当にもう限界。
苦しいんです。
毎晩眠れないんです。
1時間以上横になっていられないんです。
立ち上がる時にものすごい覚悟がいるんです。
……やっぱりわがまま?でも痛くても辛くてもカメラを向けられると微笑んでしまうんです。(^^;)

2003/05/18 予想外
ここ3日くらい、NSTのモニタをつけても全然張りがなかった。
火曜日37週に入ったら、即産まれて来て欲しい私としては、すごく焦っていた。
これ以上妊娠期間がのびると、本当に耐えられないと思ったし、早めにウテメリンを切ってもらい、歩き回って準備した方が、火曜日にすんなり産まれるんじゃないかと素人考えで、昨日わがままを通したところもある。
どうせ切ったらすぐ陣痛、なんてことにはならないだろうと思っていた。
ところが昨晩強い張りが周期的にやって来て、ヤバい、どうしよう、週末産まれちゃったら、だから言ったのにって先生に言われちゃう!と思って、ベッドに座り、さすりながら我慢していた。
でも見回りの看護婦さんに見られてしまい、モニタをつけることに。
3分おきに陣痛が来ていた。
入院した日と同じくらいの強さ。
その場ですぐ内診したら、子宮口はまだ開いていなかった。
でもとりあえずLDRに移動。
引き続きモニタで陣痛を監視。
LDRのベッドはすごく固い。
それで腰も痛くなって来て、モニタが辛いので切ってもらった。
それから疲れが出たのか、ぐっすりと眠ってしまった。
朝、トイレに起きたら少量の出血。
といっても流れる程じゃない。
張りの間隔と強さは変わって来ない。
とりあえずまだ始まって来ないってことで、部屋に戻った。
ホッ。
無理に週末にウテメリンを半量にしてもらった手前、出来れば月曜日午前中くらいまで、産まれないで欲しい。
身体的には辛いので、1秒でも早く産まれて来て、と思うんだけど、やっぱり双子でいつ帝王切開になるかわからないから、週末先生がいない時は不安だし。
不安だと食欲が増してしまう私。
お腹の張りと戦いながらも、看護婦さんの目を盗み、しっかり夜食をいただいた。
おにぎり2個とシュークリーム1個。
本日の妊婦検診での体重、なんと64キロ。
18キロ増です。
腹囲はなんと119cm。
子宮底長50cm。
ここ1週間で妊娠線がバシバシ出てしまいました。
でも我ながらLDRに移動する時、食べ物飲み物を持参するだけの余裕があったってことに苦笑。
っていうか普通別なもの持って行くでしょ。
(^^;)今日ウテメリンを更に3/4量に減らすことになっています。
今晩なら陣痛が来ても、生まれるのは月曜日になるので、先生にイヤな顔もされないで済みそう。
だけど19日にうまれると牡牛座で、20日以降だと双子座なので、20日以降の方がいいかなとか思ったりする。
私もTAKAも山羊座で、牡牛座との方が相性はいいんだけど、双子座の双子ってかわいいもの。
2003/05/19 自由の身
今朝、やっとウテメリンの点滴が外れた。
シャワーも許可になり、3階の病棟内は歩行可。
食事も運んでくれなくなって、自分で食堂へ行くことになった。
血中の薬が完全に切れるのは3時間後だから、午後にNSTモニタをつけることになった。
TAKAも期待して朝から待機。
付き添ってもらって、なるべく歩くようにしてみたが、足のむくみが尋常じゃないので、曲げることもかなわず、ロボット歩き。
しかもビリビリしびれて痛いこと痛いこと。
マッサージしてもらったり、足浴してもらったり、色々試すが酷くなるばかり。
そのうちとうとう、ギブスをはめたみたいに固まって、歩けなくなってしまった。
モニタは綺麗に定期的な波形を見せていた。
4〜5分間隔。
陣痛レベル80〜100。
これだけ見ると、もうこのまま生まれる?と思うけど、先生は私が苦悶の表情をしていないので、まだだと言う。
陣痛始まった妊婦さんは、話す余裕もないほど苦しがるそうなので、私のように「足のむくみ方が痛い」とか言ってるうちは、前駆陣痛なのだそうだ。
そういって内診もしてくれなかった。
辛い、と訴えるも、「来る時は来ますよ」と笑いながら行っちゃった。
いつ来るんだ〜!明日で37週0日。
今晩あたり陣痛来て、明日の午前中くらいに生まれてくれると一番効率いいんだけど、そうそううまい具合には運ばないようです。
2003/05/20 37週0日
今日からもう、いつ生まれても正規産です。
モニタの波形は相変わらず綺麗に7〜8分間隔の定期的ですが、強い痛みもなく、出血も、10日前のあれは何だったの?というくらい、何もありません。
張りの痛みよりずっと、むくみの方が痛いです。
糸を巻いた焼豚のよう、赤ちゃんの足や腕みたい、といった表現でも足りないくらい自分の足じゃないみたいにパンパンです。
今日は見るに見かねた看護婦さんが、足浴中にマッサージをしてくれたのですが、なんとその後、ベッド上で本格的アロママッサージをしてくれました。
英国式リフレックスソロジーといった感じです。
オイルは、足浴にはベルガモット、マッサージにはラベンダー。
どちらも陣痛を促進する効果があります。
すっごい気持ちよかった。
1時間以上やってくれました。
今まで何度も入院を体験して、こんなに看護婦さん達が親切な病院は初めて。
TAKAは東大病院の看護婦は最低だと評判だって言いますが、それは医者に対する態度であって、患者にとっては最高です。
もちろんそうでない人も稀にいますけどね。
マッサージしてもらった直後は、足が曲げられるようになったのですが、結局、そ頚部が圧迫されているのはどうしようもないので、2時間くらいで元に戻ってしまいました。
足の甲なんて、プチっと押すと2センチくらい凹んで、3時間くらい戻りません。
粘土みたいです。
何で塩分5グラム食なのに、ここまでむくむかなあ。
おやつだって、他の妊婦さんもみんな食べているけど、誰もむくんでいないのに。
2003/05/21 意味があった教授回診
お腹の下の方が左右対象にズキズキ痛むのですが、回診に来た先生に言っても、じゃ担当の先生に言っておきますって言うだけ。
担当の覇気のない先生は、むくみとお腹の重みで、卵巣や膀胱がかなり圧迫されているので、産まれれば治りますよと取り合ってくれない。
陣痛の痛みよりそっちの方が痛いくらいだと言うと、それは本物の陣痛じゃないんでしょうとか言われてしまった。
ホントの陣痛は平気な顔で話が出来る状態じゃないくらい苦しそうなんだそうで……NSTモニタではかなり綺麗に陣痛が来ているように見える。
でも痛みが伴わないので、まだだね、ってことになる。
ちょっとは痛いんだけど……むくんだ足もかなり痛くて、普通に歩けないほどなのに、もう正規産だから早くうまれるように、食堂は自分で行かなくちゃいけなくなった。
知らない人と一緒のテーブルで御飯食べるのイヤなので、トレイを部屋まで持ってくる。
これがかなり辛い。
お昼、教授回診があって、担当の先生が経過を簡単に説明したが、むくみや下腹部痛のことは無視されている。
でもさすがは教授。
この足は異常だけど、血栓が出来ていないか検査したのか、とか、胎児がかなり大きくなっているが、身長が低いので骨盤が狭いかも知れないので、レントゲンを撮って骨盤を通るか調べたのか、とか指摘。
担当の先生、「いえまだです」まだっていうか、やる気なかったくせに。
そして午後はレントゲンと、血栓の検査で血管外科でエコーをやることになった。
歩かない方がいいと言われてまた車椅子。
昨日から散々看護婦さんに歩かされてたけど、やっぱり歩かない方がよかったようです。
結果、骨盤はギリギリオッケー。
血栓は今は出来ていないが時間の問題ってことで、弾性包帯か弾性ストッキングを巻くように言われた。
看護婦さんは、売店で買って来て下さいと冷たい。
それくらい病棟で用意しておけばいいのにね。
TAKAがストッキングを買いに行くと、品切れだったので注文した。
明日の午後届くそうだと言うと、早急に対処する必要があるからとどこからか弾性包帯が用意された。
あるなら最初から出せーーーーー!!!夕方になって、下からきつくぐるぐる巻き。
こんなんでむくみが取れるのか疑問。
そうこうしているうちに、お腹の痛みが強くなって来て、はあはあしてしまうくらいになり、今度こそ本物の陣痛では?と思って看護婦さんを呼んだ。
でも先週から何度も、大量出血やら痛みやらで分娩準備室に移動しては、なーんだ違うジャンってことになっているので、看護婦さんはあまり相手にしてくれない。
とりあえず夕食後まで我慢することになったが、8時ちょっと前に分娩準備室に移動した。
ちょうどTAKAが内勤の日で病院にいたし、翌日も内勤日だったので、そのまま付き添うことになった。
本日の当直は担当の女医さん。
それは少し良かったけど、分娩の予定が一杯入っているので、今日陣発しないでね、と言われてしまいました。
そう言われましても……
2003/05/21 それから大変なことに
自分としてはお昼の3時くらいから我慢しがたい痛みに襲われていたけど、8時の時点で子宮口は2.5cmしか開いていなかった。
まだまだだねって事で私はもう既にげんなり。
痛みの間隔はますます狭まって来て、呼吸法どころじゃない。
看護婦さんは、陣痛と陣痛の合間に休むようにしないと、体力がもたないよと言うが、その陣痛と陣痛の合間に、例の左右対称の下腹部痛があって、陣痛より痛くて苦しくて、休むどころじゃない。
もう何が何だかわからず、唸るというより叫んでいるのが自分でもわかった。
看護婦さんも夜勤で1人しかいなくて、しかもあまり親切とは言えない人だった。
お母さんになるんだからしっかりしろとか怒られて、ホントに泣いてしまった。
その場にいるのは5/20に配属になったばかりの研修医3人とTAKAだけ。
私は陣痛じゃない痛みが何か変だとTAKAに訴えた。
それに息苦しくて、横になっているのに目眩がする。
先生は分娩中で来てくれないので、看護婦さんが内診した。
まだ子宮口は2.5cmのままだった。
TAKAがあれこれうるさく呼びに行くので、看護婦さんもうざったがって、御主人外に出ていて下さい、と冷たい。
先生を呼びに行ってもこの看護婦さんしかいないので、TAKAもだんだん苛つき始めた。
夜中の12時ちょっとすぎ、やっと女医さんが来てくれて内診すると、子宮口は4cmまで開いて来ていた。
この調子なら帝王切開はないから、とここに来てからずっと禁止されていた水を飲んでもいいよって言われた瞬間、ドバドバーーーーっと破水。
すごい量。
破水ってこんなにたくさんするの?ってびっくり。
急きょ水分は禁止された。
12:15のこと。
別の看護婦さんが先生を呼びに来て、先生はまた行ってしまった。
私は今まで、学生時代に低血圧で気を失ったのは除いて、30代になってから2回程意識消失していた。
その時の感じと凄く良く似ていて、これは意識が飛んじゃう!と思って、泣きながら、叫びながら、看護婦さんにそれを訴えたが、みんなそう言うこと言い出すんですよと相手にしてくれない。
そのうち目眩は最高潮に達し、吐き気と寒気が襲って来た。
またどうせ出てくるからと言って、破水の後着替えさせてくれないので、下半身が冷たくて寒くて、震えが来たと思ったら、手も痙攣し始めた。
するといきなり、ビニール袋を口にあてられ、過換気でしょうって。
紙袋ならいざしらず、ビニールを鼻と口に当てられたら息出来ないじゃん。
TAKAが弛緩発作だから先生を呼んでくれと訴えると、まだ邪魔扱い。
とりあえずビニールは取ってくれたようだけど、その当たりから意識がはっきりしない。
心配そうに背中をさすってくれた研修医の女医さんの顔が最後に見えたような気がする。
2003/05/22 朝帝王切開で出産。で、聞いた話
たぶん私の意識が完全になくなったのは、朝の3時くらいだと思う。
話を聞いた限りでは、それまではのことは断片的に覚えていた。
でも、TAKAのことを誰だかわからなかったり、自分が病院にいて出産中だと言うこともわからなかったり、お腹が大きいことも忘れてしまったようなおかしな発言があったというのは覚えていない。
4時に担当の女医さんが緊急帝王切開の申し込みをし、上の先生を呼んでくれたらしいが、手術には、麻酔科医、放射線科医、小児科医、産婦人科医とそれぞれの看護婦さんが必要で、明け方と言うこともあり、なかなかスムーズにはいかなかった。
手術待ちの間、すぐに来てくれた上の先生(担当上位の先生ではなくもっと上の先生)は、NSTモニタを見て、二児(セレンちゃん)の心音がおかしいとか、仮死になってるとか、そういうことを言っていたそうだ。
それから、叫んでいた私が急に静かになり、痙攣をくり返し、応答がないので、神経内科の先生を呼んで脳波を取ったり、瞳孔を確かめたりしたそうだ。
そのことは全く覚えていないが、手を握って下さいなどの指示にかすかに反応していたという。
それからストレッチャーに乗せられて、CTを撮りに行ったらしいが、そんな風に部屋を移動したことさえ覚えていない。
その日、放射線科の当直は、医局長だった。
TAKAの顔を見て医局長は、「先生の奥さん?」とびっくりしていたそうだ。
私の状態は精神病患者のようで、時々「あうー」とか唸って、急に手足をびくっとさせたり、急に頭をふったりして、なかなか脳のCTが撮れなくて、何度もやり直したらしい。
結果はすぐ見てくれて、脳には異常はないということだったが、脳波には変な線が出ていたとかで、てんかん発作じゃないかと疑われた。
そうこうしているうちに朝になり、9時には手術室に入れるということになった。
私は途中、時々意識を戻して、何かしゃべったりしたそうだが、それも覚えてない。
でも、帝王切開になったと聞いたのと、TAKAが自分の事を誰だかわかる?と聞いて何言ってるんだろう?と思ったのは覚えている。
手術室に移動する1時間くらい前のことだから、その頃からだんだん意識が戻って来たんだろう。
というのは、おそらく手術が決まってから陣痛を抑える為にウテメリンを注射したらしいから、それで痛みが薄れて意識が戻ったんだろうと思う。
自分は痛みには強い方だと思っていたので、誰もが経験する出産の痛みにまさか耐えられなくて意識を失うとは思ってもいなかった。
意外と弱い自分を発見してしまった。
それとも本当にてんかん発作だったのか???そんな訳で朦朧としながら手術室に入り、10時8分、レンカちゃんが、10時9分セレンちゃんが産まれたのでした。
遠くで産声を聞いたような気もしたけど、1人だけしか泣いてなかった。
TAKAが出て来たばかりの二人を写真に撮りました。
帝王切開でも立会い出来たのは、役得でした。
オペ室の中、産まれたてのセレンカちゃんは、小ブタと大仏様みたいです。(左レンカちゃん、右セレンちゃん)

2003/05/23 お昼から食事が
帝王切開後、HCUと呼ばれる部屋に移された私は、今朝までずっと酸素ボンベを当てられて、飲食禁止だった。
局所麻酔だったのに、意識は朦朧としていて、お腹も空かなかったが、やたらと咽が乾いた。
看護婦さんがうがいならしてもいいと言って、氷水を持ってきてくれて、夕方うがいをした。
背中に麻酔の点滴が入っていたので、痛みはなかった。
手術の後、肺血栓になって死んでしまうという事故があってから、足のむくみ対策は万全で、エアポンプを足にあてがわれていたが、これは全然気持ち良くないばかりか、足に巻いておくものは1万で買わされ、大元の空気を送る機械がないので、あとは無用の長物となる無駄なものだった。
でもやらないといけないらしい。
これに弾性包帯を加えていたので、足は吃驚する程細くなった。
太ったんじゃなく、全部むくみだったのね、と一安心。
お昼には重湯と塩汁、カスタード、アイスクリームが出ましたが、重湯と塩汁はとても食べられるような物じゃなくて、カスタード半分とアイスクリームだけ食べました。
それだけ食べるのに、30分かかりました。
左:5/18の足のむくみ右:5/24エアポンプを足先につけているところ

2003/05/24 起きあがれるように
そろそろ上体を起こす練習をしましょうと看護婦さんが手伝ってくれたが、出産時に痛かった、下腹の左右がズキズキ痛んで、立ち上がることは出来なかった。
帝王切開の傷は全く痛みもなく、子宮収縮の痛みもあまりなかった。
お昼、3分粥と離乳食みたいな細かい野菜煮になったのを食べていたら、TAKAのお母さんとお姉さんがお見舞いに来てくれた。
3つ目のぼたもち、とか言って、出産3日目にぼたもちを食べると母乳の出がよくなるとか。
それで、おはぎを6つ作って来てくれた。
お姉さんはガトーショコラのような可愛いハート形のケーキを4つ作って来てくれた。
でもまだ3分粥の私は食べたらダメだと、TAKAが持って帰ってしまった。
がっくり。
夕食後、小児科の先生が病室に来た。
私はまだ産まれた赤ちゃんの顔を、TAKAが撮った写真でしか見ていなかった。
産まれた直後に見せてくれたらしいが、あまりよく覚えていない。
セレンちゃんが胎児仮死でNICUに入っているがレンカちゃんは元気に新生児室にいると聞いていた。
だから、小児科の先生が来た時、てっきりセレンちゃんのことだと思っていた。
ところが、今朝の検診でレンカちゃんに心雑音があり調べてみると房室中隔欠損(心内膜欠損症)だということがわかり、明日の朝、NICUに移るという話し。
セレンちゃんの方は、NICUが満床のため、入れ違いに新生児室にうつり保温器に入れて酸素濃度と温度を管理しながら、サチュレーションモニタで様子を見るということだった。
ちゃんと正規産まで我慢して、しかも2人とも体重は十分あったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうと、気持ちが沈んだ。
私が泣き出してしまったので、今晩か明日中にTAKAを呼ぶように言われたので、TAKAにメールした。
夜になって仕事が終わってからTAKAが来て、小児科の先生に詳しい話を聞いて来た。
セレンちゃんは問題ないが、レンカちゃんの方は、1歳までに2〜3回手術が必要だとか。
最低でも2ヶ月は家に帰れないらしいし、心臓の手術は体重が8キロくらいないと出来ないらしい。
1度も赤ちゃんの顔を見ないままNICUに入ってしまうと余計面会も厳しくなるので、夜、歩く練習を始めた。
2003/05/25 赤ちゃんを見た
NICUに移る前のレンカちゃんをだっこさせてもらった。
セレンちゃんはもう出て来ていたが、保温器に入っているのでだっこもミルクも出来ない。
セレンちゃんはパパに、レンカちゃんはママに似ていますねって看護婦さんに言われたけど、セレンちゃんは大仏様みたいだし、レンカちゃんは小豚にそっくり。
似ていると言われても、ちょっと嬉しくない。
房室中隔欠損は手術さえすれば完治すると聞いて、今日は少し安心して、気持ちも落ち着いていた。
セレンカちゃんは2人ともおとなしく眠っていて、泣き声は聞けなかった。
これから嫌でも聞くことになるから、と看護婦さん。
確かに。
2003/05/26 個室に移動
東大病院、2人部屋ばかりで個室も大部屋も各階1〜2室しかありません。
大部屋と言っても4人部屋で、そこだけが差額ベッド代がありません。
2人部屋は2100円?個室は16000円くらいの差額ベッド代がかかります。
出産前は仕事をしたかったので個室がよかったのですが2人部屋しか空いてませんでした。
でも1ヶ月も個室に入っていたら入院費がかさむので、却って良かったかも。
今回は、個室と4人部屋が空いているということで、TAKAが個室をオーダーしたようです。
でもせっかく母子同室なのに、2人とも入院状態で、部屋に連れて来られなくて、寂しかった。
それに個室は湯舟がついているんですが、出産後1ヶ月はシャワーのみだし、あんまり意味ない個室でした。
ただ、NICUの目の前なので、面会に行く時は近いです。
食堂からは一番離れていてナースステーションの前を通るのが嫌でしたけど。
NICUの面会時間は、1時から3時、5時から8時の間に両親のみ1日1時間まで。
血栓予防のための点滴と、鉄剤とアルブミンを点滴していましたので、どっちみち面会は不可でした。
TAKAが撮って来てくれる写真だけ見ると、ちっともかわいい顔じゃないし、こんなに苦労したのに2人とも病気だし、お腹はまだもうひとり入ってるんじゃない?ってくらい出ているし、踏んだりけったリだと思って、ふてくされていました。
2003/05/27 食欲が止まらない・・・
妊娠中、自主的に1200kcal塩分5グラム食にしてもらってましたが、血液検査の結果、アルブミンも鉄も減り過ぎていて栄養失調のような状態でした。
それで先生が、2100kcalタンパク80グラム、塩分5グラム、という食事に変更した様ですが、そのまま全部食べちゃってました。
御飯の量が変わるくらいであとはあまり1200の時と差がない気がします。
御飯は3倍くらいありましたけど、ペロリ。
足りなくて合間合間に売店でお弁当買って来て、1日6回食事してましたが、それでも夜中にお腹が空いて、お菓子食べてしまい、これはストレスのせいに違いないとか自分に言い訳してました。
体重は、妊娠前46キロ。
18日の妊婦検診で64キロ。
翌週25日の産じょく検診で54キロ。
今日53キロ。
この食欲じゃ、妊娠前には戻らない気がします。
レンカちゃん、ミルクを口から飲む力がなくて、鼻から管を通されてしまったそうです。
かわいそう。
でも産まれた時より可愛い顔になっててちょっとホッとしました。
最初はダウン症だったらどうしようかと心配しましたが。

2003/05/28 昨日点滴はずれた
鉄剤だけ、その都度針をさして点滴することになって、身軽になりました。
授乳室にも入れますが、まだセレンちゃんは保温器の中。
おっぱいマッサージをして、初乳を搾乳して冷凍しましたが、血栓予防の点滴をしている場合、母乳に薬成分が出てくるので、24時間は母乳をあげてはいけない、ということに、今まではなっていたそうです。
でも小児科の先生は、血管に入れる訳じゃなく口から入るので体内で代謝出来るから大丈夫と言う考えで、大事な初乳を捨てる方が害だから薬を打っていても初乳をあげた方がいいと言います。
いろんな意見の医者がいるから、御主人に決めてもらって下さいと言われました。
え?そんないい加減な……TAKA、一応医者だけどでも産科でも小児科でもないんですけど。
(^^;)TAKAに相談すると、あげた方がいいよと言うので、一生懸命搾ることにしました。
最初は2ccとかだったのに、だんだん10ccとか出るようになって、注射器で吸い出して冷凍していたのを、母乳冷凍用のパックを買ってくる様言われました。
それからおしりふきも。
おむつとミルクで入院費以外に1日1400円売店に払います。
煩わしいからその中におしりふきも入れてくれればいいのに……。
あれは自分でこれも自分で用意してと、大学病院はめんどくさい。
個人病院なら全部用意してくれてそうなものですが。
2003/05/29 頭の検査
分娩中、私は意識を失って痙攣していたそうなのですが、その時神経内科の先生が、瞳孔を調べたり脳波をとったりCT写真を撮ったりして、脳波に気になる波があったので、精密検査をと言いに来ました。
それで、意識を失っていない時の脳波と、MRIを撮ることになりました。
3時頃お友達が来てくれることになってたのに、MRIの検査が3時と言われてしまい、TAKAに時間変更出来ないかメールしてみました。
一応MRIは放射線科の管轄なので、顔がきくならきかせた方がいいと担当の先生も言ってたので。
(^^;)そしたら1時の枠に入れてくれたみたいで、看護婦さんが呼びに来ました。
たまにはTAKAも役に立つ。
(笑)TAKAの見立てでは、痛み刺激による弛緩発作だということでしたが、産科の先生も神経内科の先生も、弛緩発作ではないと言います。
てんかんじゃないか、って言われた時は、私も弛緩発作だと思うぞ?と内心不審に思いましたが、一応検査には行っておきました。
でも頭の検査なんて、ヤナ感じです。
2003/05/30 セレンちゃん出て来た!
やっとやっと、セレンちゃんが保温器から出て来て、サチュレーションモニタもはずれました。
初めて部屋に連れて来られます。
授乳する時は授乳室に行かないといけないのですが、寝ている時にはずっと部屋においておいてもいいそうです。
冷房効かせ過ぎていたので、初めて連れて来た時はくしゃみしちゃいました。
あとはずっと寝ています。
授乳タイムになっても泣かないお利口さんです。
が、無理矢理起こして飲ませるのも結構大変。
まだ母乳はそんなに出ないので、吸わせる練習だけして、あとはミルクをあげます。
ミルクは今日は一回60ccというように、看護婦さんが指示してくれます。
仕事先の担当の人がお祝に来てくれたのですが、こんなおとなしいと楽かもしれないってびっくりしてました。
目を開いているのに、泣いてない〜!って。
その人のお子さんはよく泣いたそうです。
セレンちゃん、保温器から出たばかりでまだ元気ないのかな?
2003/05/31 そうこうしているうちに退院
今日は退院の日なんですが、TAKAが仕事なので、夜7時になってしまいます。
だから夕食まで病院で食べることに……前に2人部屋だった時、隣のベッドの人が退院するのに、赤ちゃんを預かっててもらえるうちにと、お昼に外食に出て行って、午後、退院していたのを見て、そうか〜と思ったんですが、TAKAがいなくちゃどこにも行けないし。
その人は2ヶ月も入院してたので、やっぱり私と同じで美味しいもの食べたい病にかかっていました。
午後、お友達が私の大好物のチーズタルトを大量に買って来てくれました。
それからレンカちゃんの面会に行こうとしたら、セレンちゃんの授乳に呼ばれて、TAKAの両親とお姉さんが来て、検査を結果をきいたり売店におむつ代払いに行かなくちゃいけなかったり、なんだか慌ただしく時間が過ぎて行って、レンカちゃんのところに行き損ねてました。
夕方、やっと行ってみると、包帯グルグルの痛々しい姿に!思わず涙が出てしまいました。
自力での呼吸が難しいので、人工呼吸器をつけたという話なのですが、昨日まで元気に笑ってたのに、鎮静剤を点滴されてもう寝たきり。
昨日はTAKAがミルクもあげて、おむつも替えたと言ってたのに、今日は導尿されていますし、当然ミルクも鼻の管からです。
体重は産まれた時より300グラムも減ってしまってました。
でもそれは、利尿剤を使っているからだと説明されました。
利尿剤、強心剤、鎮静剤と、3本の点滴が腕に入っていて、動かない様に添え木されて包帯を巻いてあり、頭も動かさない様に固定され、身体の両側もタオルや重りで固定されています。
身動き出来ない状態で、懇々と眠り続け、時々苦しそうにもがきます。
もう見ていられなくなって、途中で退席。
TAKAが来てから2人でもう一度、しぼった母乳を持って会いに行きました。
その頃、セレンちゃんは渡しておいたドレスを、看護婦さんに着せてもらって、新生児室で待機していました。
私が縫ったレンカちゃんとお揃いのドレス、一緒に着られなかったと思うと、余計悲しくなって、退院の時に写真を撮ろうと思っていたのに、それどころじゃありませんでした。
帰り、おじいちゃんの家に寄って赤ちゃんの顔を見せ、TAKAのお姉さんが作って来てくれたお惣菜と、どこかのお店に注文して持って来てくれたお赤飯と、帰りに買ったお寿司をみんなで食べ、預かってもらっていたハニー(ポメラニアン)を連れて帰りましたが、家には何も食べ物がありません。
そんな訳で帰りに24時間やっているスーパーで明日食べるものを買って、とやっていたら、家に着いたのは11時でした。
セレンちゃん、7時にミルクをあげたとはいえ、その間全然泣きませんでした。
40日ぶりの家は、酷い状態。
TAKA、散らかし放題・・・(- -;)入院時の荷物を片付けたり、お客さんが寝るスペースをつくったり、とりあえず安静にしてなくちゃいけないというのに、夜中にあれこれ動いたら、悪露が酷くなってしまいました。
病院では殆ど止まっていたのに、まっかな血が大量に。
お腹も痛い。
先が思いやられます。
